6月11日(日)4時〜
ドキュメンタリー映像を見る会

「新猪飼野物語」1988年
在日コリアンが多く住む大阪・生野区猪飼野で、2世、3世の若者たちが民族の文化を取り戻そうと新たな動きを始めた。若者たちは、仮面劇や剣舞などを練習し、朝鮮民族の文化を継承しようとする。折しも昭和天皇が危篤になり、全国的に祭りが自粛される中で、ドラを鳴らし、民族衣装を着て踊りながら街を練り歩く若者たちの動きを追う。

「忘れられた日本人武将の末裔」1992年
 秀吉の朝鮮侵略の際、「この戦には大義がない」として、朝鮮側に立って秀吉軍と戦った日本の武将がいた。沙也可という名前である。沙也可は秀吉軍が撤退した後も朝鮮に留まり、朝鮮国王に仕え、北方民族の侵攻に対抗した。その一族は今も大邱市郊外の友鹿洞というところに住んでいる。秀吉軍の朝鮮上陸から400年にあたる1992年、友鹿洞に一族が集まり、記念碑を建てた。日本と朝鮮の歴史に翻弄された沙也可一族の長老の声を聞き、子どもたちを訪ねる。

6月18日 2時〜


映画「イザイホー1990年ー久高島の女たち」
1991年 カラー 30分

久高島には久高ノロと外間ノロを中心とした祭祀組織があり、1年に40回近い年中行事が行われているが、イザイホーはその祭祀組織に30歳から41歳の年齢層の女性が新しく加入する儀礼である。
それらの新加入の女性たちは、祖母の香炉を受け継ぎ、イザイヤマ(聖地)に籠もり、太陽と月の霊気のしるしを与えられて、「家族を守り、島を守る」守護者に生まれ変わる。
1990年は、そのイザイホーの行われるべき年であった。
しかし久高ノロが亡くなり、また外間ノロは高齢に加えて病気のため、ついに行われなかった。
この記録は、イザイホーを行うことができなかった久高島の女性たちの、この期間の行動と想いを集積するとともに、前回のイザイホーの写真記録と音声記録を活用しながら、イザイホーという神行事を明らかにしようとしたものである。

映画「ぜんまい小屋のくらし」
新潟県岩船郡朝日村奥三面
1984年 25分

奥三面の人々が暮らす朝日連峰は、ブナやミズナラを中心とした落葉広葉樹林におおわれた山菜やキノコ、木の実の宝庫である。
特にゼンマイは、それを商品として、現金収入を得るための重要なものだった。
5月上旬、ゼンマイ採りが始まる。
奥三面ではゼンマイ採りの小屋を持つ人が多く、家族単位で約1ケ月間、その小屋に暮らしながらゼンマイを採る。
小、中学校も10日間のゼンマイ休みに入り、子供たちも大切な働き手として、一緒に暮らした。
午前1回、午後1回、1回30キロほどのゼンマイを小屋に運ぶ。
そのゼンマイは一家総出で綿毛を取り、熱湯でゆで、約3日間、天日乾燥する。
揉んでは広げ、揉んでは広げして乾かす。
早朝から夜9時、10時に及ぶ重労働である。
こうしてこの時期に採取したゼンマイの収入は、1年間の現金収入の約半分になるという。