新しいメニュー

メニューが6月から一つ増えています。ミントのハーブティーです。ローズマリーを少し入れて、フレッシュミントをティーポットの中に入れます。そして、約4分ぐらい。お湯を沸かす時間があるので注文してから結構時間がかかります。(笑)
スペースふうらはスローだから時間に余裕のない人はいらいらするかもしれません。

ミントは借りている畑でとれたものを使っています。もちろん農薬も化成肥料も使っていません。(ハーブはどこの畑でも薬はまいていないと思うけれど・・・)
おいしいって飲んでくれはります。

 7月4日に開催された「故片平敏明を偲ぶ小宴」が故人写真、そしてお花、そして故人を偲ぶ友人・知人たちの酒を交えての思い出話しが交わされていた。
 スペースふうらの管理人たちは全く面識がないのだが、激しい生き方をされてきたことはお話の中で感じることができました。管理人あきは片平さんが書いたエッセイを朗読させていただいた。
  少し遅くなりましたが、呼びかけ人であるUさんの言葉とご自身がお書きになった「片平闘争」の中間総括のほんの一部ですが掲載させていただき、故人のご冥福をお祈りしたいと思います。

 呼びかけ人<メッセージ>
 1948年3月鹿児島でせいを受け、2010年5月、堺に没しました。享年62歳でした。葬儀は故人と遺族の意向で密葬で執り行われました。辛くて悲しいことです。(略)「谷また谷の人生」だったという彼の波乱に満ちた人生の一端を、彼を支えた(?)皆さんと語ることができれば幸いです。
 世話人(彼を「小市民生活」に巻き込んだ友人)
 
 片平闘争の「終わり」と「始まり」を回想して(部分)
 (1985年1月18日  大阪府職労教委支部 片平敏明
1980年9月18日、奇しくも柳条溝事変の碑に判決は下された。各紙夕刊は「寛刑」「身障者の立場理解 団交での傷害事件 懲役求刑に罰金刑」と報じた。被告席で僕は、裁判長が早口で読み上げる判決文を緊張したおももちで聞いていた。(以下略)

(3)片平闘争は「障害者」解放運動を階級闘争の戦場に登場させ、実力差別糾弾闘争で勝利していった。
 この闘争は、僕個人の府教委ー堺養護学校の差別解雇に対する「怒り」の爆発によって開始した。養護学校が「障害者」をアルバイト雇用し、しかも継続雇用契約をしておきながら「予算が無い」を理由に首切りする(略)1年後の74年3月撤回、復職を勝ち取り、さらにこの年から2年後、こう公判闘争を闘うただなかで正採用、すなわち「障害者」の労働権奪還闘争に勝利した。裁判闘争をなかんずく刑事裁判(公安事件)を闘う、その最中公務員採用を勝ち取ったことは画期的であり、きわめて異例な椿事であろう。(以下略)